2011年9月11日

到達不能のノスタルジー

先日、中学生時代の同期数人と (地元の高校卒業から) 11年ぶりに会った。
会合場所で「久しぶり!」と挨拶したら、相手は皆驚いたような、懐かしそうな顔をしていた。
きっとノスタルジーを感じたのだろう。

しかし、私には「懐かしい」という感覚は生じなかった。
私にとって、11年前の記憶は昨日の記憶とたいした差異に感じられなかった。
普通ならば、時間と共に嫌な記憶は風化または改変され、良い記憶は思い出として美化されていくのだろう。
だが、私にはそれがない。
私は良い記憶も悪い記憶もそのまま残り、思い出が作られない。
そして、ノスタルジーも得られない。

しばらく会っていない友達と会うときは、記憶と現状との差異にかなりの注意を払う。
私が持っている記憶は、友達は忘れているか思い出として当時の感情や印象が残っているだけであろうから。
時間は人を変えていく。
もちろん、友達と会うことは楽しいが、この感覚の差異に孤独を感じることもある。

とあるジャーナルサイトの記事には
  • 辛いことも、悲しいことも、忘却したり思い出にしていくことで前向きに生きていける
  • 人は脳内で 「嫌な思い出」を減らし、「良い思い出」を増やせるからこそ健全に生きられる
といった趣旨が書かれてあった。
私にも忘却はあるが、嫌な記憶も良い記憶も等しく忘却するため比率は変わらない。
ならば、思い出が作られない私は、どう記憶と折り合いを付けて生きていけばいいのだろうか?
楽しいこと、良いことばかりの人生なら良いのだが。

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